Vol.33 株式会社 重富酒店
代表取締役 重富 寛さん

33_重富寛
株式会社 重富酒店 代表取締役 重富 寛さん

【プロフィール】
1962年生まれ、広島市出身。酒屋の3代目として生まれるも教員を志す浪人時代、父親の背中に何かを感じ、家業を継ぐことを決意。1986年ニッカウヰスキー株式会社入社。5年間の修業で酒と商売の基本を学び、株式会社重富酒店へ。30歳の頃、付き合いで参加した樽生セミナーで生まれて初めてうまいと思えるビールと出会う。その理由がサーバーやグラスの洗浄、樽やガスの手入れであることに気づき、自社で飲食店向けのオリジナル樽生セミナーを主催するなど、ビールの魅力にのめり込んでいく。2012年には生ビール専門の角打ち「ビールスタンド重富」をオープン。昭和と現代のビールサーバーを使い分けながら、注ぎ方だけでまったく味の異なるビールを提供し、営業時間は17時〜19時の2時間のみ、つまみはなく1人2杯までという営業形態ながら、全国からその味を求める人が行列を作る名店に。店休日もイベントでビールを注ぐことが多く休日はほとんどないが、ビールを飲んだ人の笑顔が自身最大の健康の秘訣と語る。



うまいビールがあれば街も、世界も、人間関係もすべてがうまくいく。


うまいビールで、故郷を守る

 10人も入れば満席になる店に、うまい生ビール目当てに連日行列が。そこで一心不乱に生ビールを注ぐのが重富寛さん、酒屋の店主であり、このビールスタンドのマスターです。30歳でビールの虜になり、今やその魅力の伝道師として全国でセミナーを開催、大手メーカーでもレクチャーを行うほどに。一方、3代目として家業を継ぐも、本人曰く経営は不得手。ならば得意なことを伝えられ、人生をかけてのめり込めることだけをと、スタンドのオープンに至りました。営業時間は2時間、1人2杯まで、提供は生ビールのみという営業形態ゆえ、時間の延長、つまみや3杯目の要望など様々な声がありましたが、開店当初からそのスタンスは変えません。なぜならこの店は流川の入り口。ここでほろ酔いになったお客さんが流川に流れていくことこそが、重富さんの狙いであり願いであるからです。「流川で生まれた私にとって、ここは故郷です。広島の経済の中心であるこの故郷に、いかに人を呼んでくるかが私にとっては故郷を守ることなんです」。周りの飲食店とも競合しない店の形態は徐々に浸透し、今では仕事をやりくりし、何とか営業時間内に滑り込んでくるお客さんも。長ければ90分待ちがあるほどの繁盛ぶりも「待っていただいた方にも、自分が返せるのはビールの味だけ」と、ビールと向き合う真摯な姿勢には微塵のブレもありません。そうして飲み終えたお客さんが「待ってて良かった」と見せる笑顔が、重富さんのやりがいでもあります。



ビールの底辺を支える存在に

 どんなに美味しい料理が並んでいても、最初に口をつけるのは乾杯の生ビール。重富流に言えば、それはファーストキスと同じです。だからキス前の歯磨き同様、サーバーやグラスの手入れをしないのはありえません。そうしたことを飲食店へ伝えていくのが、重富さんの酒屋としての使命でもあります。「同じ樽のビールを飲んだ仲間を作る。それがビールの役目。だから誰でも気軽に飲めるビールというものの味を美味しくするだけで、世界はうまく回るんじゃないかと思うんです。うまいビールを広めることは、日本の経済を良くすることとイコールです」。未だ全国を回り、追求することをやめない重富さん。目標は、今の自分が提供するビールが特別ではなく広島の飲食店でのスタンダードになり、やがて自分はビールの底辺を支える存在になること。その日に向けて、今日も重富さんは一心不乱にビールを注ぎます。世界をうまく回すために。





33_広島で初めて生ビールの取り扱いを始めた居酒屋「四斗平」

大阪の街で出会ったその味をなんとか広島の人に広めたいと、重富さんの祖父である初代が広島で初めて生ビールの取り扱いを始めた居酒屋「四斗平」。



33_昭和初期の冷蔵庫を使用

当時の祖父の思いを引き継ぎ、また昭和のビールサーバーを復活させるため、あえて昭和初期の冷蔵庫を使用。愛媛の骨董屋でようやく見つけた品です。